あ、やばい

気づいたらさとるくんのこと考えてる。あんなライン送って大丈夫だったかな、まずかったかな、今なにしてるかな、好きな人はいるのかな、それは私であってほしいな。どんな女の子が好きなのかな、もしかしたら私と付き合ってくれないかな。

あ、やばい、私恋してるって気づく瞬間が結構ある。もう人を好きにならないって決めたし、ならないだろうと思ってたのに。なんでなんだろう。恋って制御できない感情だよね。この感情は捨てたはずなのにな。

 

今度上野行こうって誘われた。山手線京成線上野駅、不忍口からのいつものルート。あの景色は一生忘れることができないと思う。券売機の前で待ち合わせして、ちょっと喋って、ルノアール行って、公園歩いて、キスして帰る。いつものお決まりのルートは今では悪魔の道。あの場所にまた行って精神が大丈夫かわからないし、あの景色をみて平気でいられるはずがない。そしてなによりも、間違って遭遇してしまわないかが心配。誰といるときでもあの辺歩いてるみたいだったからなぁ。

 

大好きだったまこちといつも通り喧嘩して、そのタイミングで私が別の人を好きになっちゃった。悪いことだとわかっていたけど、毎日送られてくるメールやほとんど毎晩かけてくる電話の内容に不満がなかったとは言えない。大丈夫だよ、支えるからね、ずっと一生にいるから。ってそういう言葉をかけていたあの頃、知らず知らずのうちに自分も病気に蝕まれていった。気づいたら暗い闇の中、誰も助けてくれないことはわかっていたから、誰にも助けを求めなかった。病院に行くことをまこちにも止められ、本当に誰にも話せない、まるで牢獄のような毎日を送っていた。

 

別れてしまってからは、今元気かな、大丈夫かなとか申し訳ないなっていう罪悪感を今でも残っているくらい感じていた。別れれば自由になれるなんてとても甘えた考え方だった。なんなら別れてからの方が辛いし、今でもあの人を思い出すたびに自分を殺したくなったり、もう人生が嫌になってしまったりする。私はどうすればいい、なんにもわからずにただただ、時間だけが解決してくれると願って過ごしてる。忘れられるかな、忘れられたらいいのになぁ。

 

この事は誰にも言ってないし、言えない。病気のことも明るく、軽く、話していたりはするけど病名までは言ってないし、言ってもわかってくれないし、距離を置かれそうだから辞めてる。双極性障害パニック障害、俗に言う躁鬱ってやつね。明るい時は躁になっているって自分ではわかっていても周りの人はちょっとテンションが高いだけって思っているんだろうな。この後に来る鬱の状態がとっても怖いのに。だいたい人と会って躁になって、別れてそろそろ死んでもいいかなって考えちゃう。原因はない。だから怖いし対策のしようもない。もう疲れたから諦めてもいいかなってただそういう浅はかな考えをしている。そんなの甘えだよって言われればそれまでだけど、これは患っている人にしかわからない辛さなのかなぁって思う。まあ所詮甘えだよ、だからそんな自分が嫌いになる。

 

人を好きになれば、付き合うことがあれば、絶対に傷つくことが出てくる。そうやって傷つけられた人はいつまでもそのことを覚えているんだよ。傷つけられたくなくて、傷つけたくなくて、私は人を好きにならないっていう選択肢を選んだ。人を好きになる感情を捨てた。なのに今好きな人がいる。だめだよね。ばかだなぁなんて考えながら生きてる。いつになったら諦めるんだろうってマイナスに捉える自分がいれば、もしかしたら付き合えるかもしれないってプラスに捉える自分もいて。辛い恋の中で他人とは違う辛い気持ちを持ちながら生きてる。やめればいいのにねぇ。

 

なんか疲れたからここまでにしよっかな。書き忘れたことがあったらまた後日。